福島の中間貯蔵施設とは

 2011年3月に起きた東京電力福島第一原発事故では、原発から環境中に放出された放射性物質で広大な土地が汚染されました。福島県内の除染作業で出た汚染土壌などの放射性廃棄物のうち、10万ベクレル/1kg以上のものを、最終処分場におさめるまでの「30年間」、集中的に保管、処理、管理するのが、福島第一原発を取り囲むように広がる「中間貯蔵施設」です。

 原発事故の起きた後、除染作業ではぎ取られた土壌やわら、草などは、フレコンバッグと呼ばれる黒い大型の袋に入れられ、多い時で福島県内約15万か所の、「仮置き場」や校庭、公園、家の軒先などに一時保管されていました。最終処分の場所が決まるまでの30年間、まとめて保管する施設として県内に「中間貯蔵施設」を建設することを2011年3月に国が福島県に要請、2014年8月に福島県、12月に大熊町、双葉町が「苦渋の決断」として受け入れました。2015年3月、廃棄物の搬入が始まり、2045年3月までに「福島県外で最終処分する」ことが法律「JESCO(中間貯蔵・環境安全事業株式会社)法」で定められています。ただ、政府の責任で探す、最終処分の場所は全く決まっていません。

 中間貯蔵施設の広さは、東京ディズニーリゾート8つ分、約16平方キロメートル。搬入された廃棄物を土壌と可燃物に分ける「受け入れ・分別施設」。土壌を貯蔵する「土壌貯蔵施設」。可燃物を焼却して量を減らし、貯蔵する「仮設焼却・灰処理施設」などがあります。最終的に中間貯蔵する廃棄物は、約1400万立方メートルの見通しです。環境省によると(2021年6月24日現在)、福島県内52の市町村のうち、32の市町村で中間貯蔵施設への廃棄物の搬出が終わっており、全体の8割を占めます。環境省は2021年度(2022年3月)までに全ての搬入は終わる見通しだとしています。(ただし、帰還困難区域の除染で発生する廃棄物は予定量に含まれていません)

 中間貯蔵施設の敷地は帰還困難区域で、現状、人が住めない土地を、国が買ったり、借りたりしています。国、地方公共団体を含め、地権者は2360人。様々な考え、判断があり、土地を手放した人、土地を貸している人、まだ売買や貸す契約を結んでいない人もいます。国は当初、全ての用地を「国有化する方針」でしたが、土地の価値に見合った補償とはいえず、また、土地を手放すのをためらう地権者もいることから、反対の声は多く、最終的には、借地権の一つ「地上権」を設定することとなりました。

 地権者有志が中心の「30年中間貯蔵施設地権者会」は、「中間貯蔵施設」の建設、運用には反対していません。しかし、施設のために30年間暮らすことができない地権者への補償は現状、ルールに則って行われているとはいえないと考えています。また、契約書に「30年後に必ず、現状回復したうえで返還すること」などを盛り込むことを求め、環境省と団体交渉を行ってきました。(詳しくは、このホームページの「結成からこれまでの経緯」「環境省との交渉の争点」をお読みください)

また、2020年に行われた環境省のアンケートで、「除染の廃棄物は、2045年までに福島県外で最終処分すると法律で定められている」ことについて、「聞いたことがない」「知らない」と答えた人が、福島県外では8割に上るということです。中間貯蔵施設や地権者の現状について理解を深めてほしい、というのが当会の願いでもあります。